2012年7月4日、CERNのLHC実験の二つの実験グループ(ATLAS実験とCMS実 験は)、ヒッグス粒子探索に関する最新結果を発表しました。両実験ともに 質量125GeV - 126 GeV 付近に新粒子を観測したと発表しました。
名古屋大学N研究室では2006年よりATLAS実験に参加し、 25ナノ秒ごとに起こるビーム衝突が興味のある事象かどうかを、 ATLAS検出器のエンドキャップ部分に飛来するμ粒子を捉える事で オンラインで選別する TGC トリガー検出器に関わってきました。 μ粒子は、下に解説しますように、 今回のヒッグス粒子探索において非常に重要な役割を担っています。 私たちはCERN研究所の現場最先端に立ち、 このTGC検出器のコミッショニング(実験本番での運転にむけての立ち上げ)をはじめ、 この世界最大規模かつ世界唯一の検出器に対して試行錯誤を重ねることで、 高い性能を発揮した状態での長期運転を実現してきました。 今回のヒッグス粒子らしき新粒子の発見は、これまでの私たちの TGC 検出器研究の成果を裏打ちする、 一つのマイルストーンだと考えています。
ヒッグス粒子は、現代素粒子物理学で大成功をおさめている「標準模型」で予言 されている唯一の未発見粒子で、 半世紀にわたり、その探索が行われてきました。「ビックバン」直後の世界では、全ての素粒子は質量を持たず、光速で動き回っ ていたと考えられています。ビックバンの後、宇宙は膨張し冷えていきますが、 1秒にも足らない間に、宇宙空間が劇的に変化し(相転移という)、宇宙空間 は、ヒッグス粒子の海で満たされるように変化します。このヒッグス粒子に満た された空間の中を素粒子が運動をすると、ヒッグス粒子の海の抵抗力によって 素粒子は動きが鈍くなり、その結果、素粒子は質量を獲得したと考えられています。
このように、ヒッグス粒子は素粒子標準模型にとって重要な役割をしており、 それが本当に存在するかどうかを明らかにする事は、素粒子物理学の大きな課題 のひとつです。
ATLAS 実験・CMS 実験では、 LHC 加速器を用いて陽子と陽子を高エネルギーで衝突させ、 そのときのエネルギーで作られるはずのヒッグス 粒子を探索します。 このヒッグス 粒子は短寿命で、すぐに他の粒子へと変換してしまいます。 そこで実験では、陽子が衝突を起こしたときに飛び出してくる粒子を捉え、 何が起こったかを逆算する事でヒッグス 粒子を探します。
今回の報告の新しい点は、
です。順番にご紹介します。
- 2011年の約5/fb と 2012年の約6/fbのデータを用いた、Higgs粒子が二つの光子に崩壊する事象探索
- 2011年の約5/fb と 2012年の約6/fbのデータを用いた、Higgs粒子がZZを経由し4つのレプトンに崩壊する事象探索
- 2011年の約5/fb のデータを用いた解析と、上記の二解析の結果を組み合わせた、総合結果
H → γ γ によるヒッグス粒子探索
ヒッグス粒子は、ある確率で2つに光子に崩壊します。二つの光子を検出器で捕 まえることでヒッグス粒子が二つの光子に崩壊するイベントの候補を集めること ができます。 上の図は、ATLAS実験で捉えた2つの光子を含んだ事象です。緑色の領域は、光 子を測定するための検出器で、その二箇所に信号が出ている事が黄色で示してあ ります。
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こうしたイベントを集めて、二つの光子のエネルギーを足し合わせるとどうなる でしょうか?もしヒッグス粒子が二つの光子に崩壊していたら、エネルギーの足 し算は、いつもヒッグス粒子の質量になるはずです。それに対して、陽子陽子衝 突から直接光子が出てくるようなイベント(偽物)の光子のエネルギーを 二つ足してもただ確率的にランダムな値になるだけです。上の図は二つの光子の エネルギーを足し合わせた分布です。誤差棒つきの点はデータをあらわし、赤点 線は、偽物が取りうる予想を示します。赤点線に上にピークが見つかればヒッグ ス粒子からの二つの光子を見つけたことになります。今回、126GeV(*)付近に赤太線 の様な盛り上がりを確認しました。
- (*)補足 : GeV(ギガ電子ボルト) -- 素粒子の分野でよく使われる、エネルギーや質量の単位です。電子は 0.5 MeV(メガ電子ボルト) = 0.0005 GeV, 陽子はおよそ1 GeV です。
H → ZZ → llll によるヒッグス粒子探索
ヒッグス粒子は、ある確率で二つのZ粒子に崩壊します。Z粒子も不安定で二つの レプトン(μ粒子や電子)に崩壊しますので、ヒッグス粒子が4本のレプトンに 崩壊するように見えます。二つの光子と同じように、4つのレプトンに崩壊する 事象を集めて、そのエネルギーの足し算で優位なピークが発見できればそこに ヒッグス粒子があることを意味します。 下の2つの図は、ATLAS 検出器で捉えた, 4本のレプトンを含む事象です。
まず一つ目は4本のμ 粒子を捉えた事象です。物質を貫通しやすい性質をもつμ 粒子(赤い線)が 検出器の外側にまで到達しているのが分かります。
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2つ目(下図)は 2本のμ 粒子と2本の電子を含んだ事象を捉えたものです。 検出器の外にまで到達している2本のμ 粒子に加えて、 電磁カロリメータで大きなエネルギーを落としている(蛍光緑)電子が2本あるのがわかります。
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下の図は、このような4本のレプトンを含んだ事象を集めてきて、その不変質量を計算したものです。 黒い点はデータ、赤と紫ヒストグラムは見積もられた背景事象を示しています。 そして水色、黄色、灰色のヒストグラムは、それぞれ、125 GeV, 150 GeV, 190 GeV の 質量を持ったヒッグス粒子を仮定したときに期待される数を示しています。
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ヒッグス粒子探索の総合結果
解析ではこのように予測とデータの比較を行い、 そして「ヒッグス 粒子は存在しない」という仮定から見て、予測と実験データの合い具合を数値で評価します。 今回更新された二つの解析に加え、2011年のデータを用いた様々な解析の結果を総合した評価を見てみます。
下図は仮定するヒッグス粒子の質量を横軸にとり、 95 % の信頼度におけるヒッグス粒子の生成率の上限(素粒子標準模型の期待値(σ SM)で規格化) を表しており、 図の実線が1を下回っている領域 では、ヒッグス粒子がなさそうだと考えられます。
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まずこちら(上)は、去年の冬の段階での解析結果です。
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そして、こちら(上)が、今回の結果です。 全体的に黒い線が下に降りており 131-162GeV, 170-460GeVの範囲でヒッグス粒子の存在が棄却されていく中で、 126 GeV 周辺の線が下がらずにいます。 逆に言えば、Higgs粒子らしいものが存在する可能性があるという事になります。
このことを定量的に判断するには、 「ヒッグス粒子は存在しないのだけど、偶然、今回のような実験結果を得る確率」を 考えます。 下図は、仮定するヒッグス粒子ごとに今回の実験結果を得る確率を評価したものです。 たとえば10-1にあれば、10回に一回くらいは起こる珍しくはない結果だと考える一方で、 10-7にあれば 10,000,000回に一回くらいしか起こらない非常に 珍しく、偶然では説明できないと考えられる結果だ、ということです。
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126 GeV にてその起こりやすさは極端に下がっており、 今回の実験結果は、私たちが"発見"だと確信してよいだろうと考えている、 5 シグマ(σ)=「3百万回に、1回起こるかどうか」(*)に到達しました。
- (*)補足 :ページ下部にσと確率の対応表をまとめました。
このように、126GeV付近にヒッグス粒子らしき新粒子を発見する事ができまし た。さらなるデータと時間を使って、この新粒子がヒッグス粒子なのか? あるいはヒッグス粒子とは別の驚きの素粒子なのか?解明していかなければなり ません。もっと沢山の崩壊チャンネルを詳細に解析し検証していくことで、これ らを明らかにして、新しい物理像に関する見地を得る事ができると考えています。 これからの素粒子実験がますます面白くなってきました。今後のさらなる成果に 注目下さい。
シグマ 起こる確率 1 0.158655 2 0.0227501 3 0.0013499 4 3.16712e-05 4.5 3.39767e-06 4.6 2.11245e-06 4.7 1.30081e-06 4.8 7.93328e-07 4.9 4.79183e-07 5 2.86652e-07 5.1 1.69827e-07 5.2 9.96443e-08 5.3 5.79013e-08 5.4 3.33204e-08 5.5 1.89896e-08